新型コロナとお酒

福岡,大吟醸,新型コロナ

2020年。突然はじまったコロナ禍。

家飲みや宅飲み。そして、オンライン飲み会にリモート飲み。withコロナにアフターコロナ以降の世界ではそのような言葉がチラホラと。しかしながら、その場で選ばれるお酒というのは、ビールにハイボールに缶チューハイといったものが多く、それがビールメーカーの売上拡大につながっています。ですが、我々業務卸(料飲店さんへのお酒を卸していること)をやっている地元の小さな酒屋は、業務卸は軒並み落ち込み、二度目の緊急事態では80%ダウンというおぞましい数字を叩き出しています。壊滅的状況ですね。さらに福岡の日本酒酒蔵、九州の焼酎メーカーも先に述べた、ビールメーカーとは異なり、苦しい数字になっているのが現状です。

お酒が飲めない時代。飛沫問題。

ここまでメディアで取り上げられていますので、飲食店を早く店じまいすることが是か非か?というところはあえて今回、取り上げるようなことはいたしません。全くもって納得はしていませんが、民主主義であり、有事でありということで、その答えがコロナへの唯一の解決策ということであるのでしょうから。渋々、いやいや受け止めることとします。ですが、「飲みニケーション」という時代錯誤な加齢臭のする言葉を持ち出しはしませんが、飲みの場というものには、意味のある文化なんじゃないかな?とは思いました、改めて。古くは、三軒長屋の前に打ち出された縁台に、コレを福岡では「ばんこ」と呼びますが、そこでお酒をかっくらいながら、盃を酌み交わす。それから、銭湯に床屋にそば屋に。地域という枠でのコミュニケーション文化に、最適なマストアイテムとして、お酒が選ばれたのではないか?と。思っております。それが現在に向けて発展していき、居酒屋であり、オーセンティックなBARであり、割烹料理屋、料亭、角打ちであり。と少なからず進化していきました。そこには「喜び」「驚き」といった特殊な感情が生まれ、そこの要素が強いお店が繁盛していく。そうすると人々は、その「喜び」「驚き」を得たいがために、それが料理の美味しさにつながっていった。そうやって夜お酒を飲むという文化が築き上げられたのではなかろうか?それが和食の発展、日本料理の美しさ、肴の希少性さ、日本酒・焼酎のクオリティ、ジャパニーズバーテンダーの緻密性につながっていったのではなかろうか?そしてそこには人とのつながりというものがあるんじゃないか?そう思って仕方がないのです。無論、価格であったり、コスパであったり、そういう要素もあると思います。でもそれが全てじゃない。

福岡,大吟醸,新型コロナ

お酒を呑むということは人とつながること。

そんなものは、酒屋の爺さんの戯言だ。それでも結構。でも、だからこそお酒がお店飲まれたわけで。自宅に帰って愛妻料理があるにも関わらず、外で飲むことなんじゃないかな?と、この文章を書きながら私は思いました。だから酒蔵の皆さんも、クオリティをあげていくことに日夜研鑽し、美味しい飲み方というものをサジェストしていたのではないか?それが本来のお酒造りであり、お酒を呑むという意義だったのではないのかなあ。老いぼれ爺さんの心の囁きでした。

福岡,大吟醸,新型コロナ

お酒とは?人と人とをつなぐ鍵。

本来のお酒は、人と人とをつなぐ鍵であると私、友添は考えております。ですが、2021年1月現在、お酒を飲んではないけない。と言われている。いいのかなあ?いいのか?いいんだな?そんな自問自答を繰り返しながら、ひとり晩酌をしていますと。見上げた闇夜に、まんまるいお月さまが。そういえば明るい。ネオンがポツポツと消えて、最近夜空にこの春吉でもうっすら星空が見えたりしていましたが、今宵は月光に照らされるひとり酒。そういえば、お酒って昔っから神様とつながっていたなと。キリスト教では赤ワインは神様の血と言われ敬われ、神道においては、神様と交わりを持つためにお神酒を口に含む。そのお酒を、逢うな、語るな、飲むなって。えげつない時代。

人と人とをつなぐ鍵。その鍵を開けていくっていうことは相手の結界を超えていくこと。どんな世界に入っていくのか?どんな世界が待ち受けているのか?どんな世界を切り開けるのか?私の冒険心、探究心はまだまだ止むことを知らない。どうかまたその夜が訪れるまで、お月さま。見守りくださいませ。ムーンライト輝くこの夜のこの想い。いつか笑い話になってほしいものだ。