焼酎が日本酒を越えた日。福岡県

福岡,大吟醸,焼酎が日本酒を越えた日

焼酎 > 日本酒となった日。福岡県でのその日。

その日は突然訪れたわけではない。

少し昔の話を振り返ってみる。焼酎が日本酒を逆転したその頃。福岡県下では2004年に日本酒が焼酎から逆転された。その布石ははっきりしていて、私友添も鮮明に覚えている。1980年に下町のナポレオンいいちこが焼酎ブームで日本国中を席巻した。そのあとに日本酒の淡麗辛口ブームが起きた。ここの違和感。当時の国税庁酒類鑑定官の方が、もっと美味しい日本酒作らないと淡麗辛口ブームが続くと焼酎に逆転されるぞ。って言っていた。それが現実となるわけだが、その経過として、酒と焼酎の味に差がなくなってきた。淡麗辛口という文字列は果たして現実世界が求めていたのだろうか?

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スコッチウイスキーと焼酎の争い

そして、蒸留酒に該当する焼酎業界に激震が走ることとなる。1989年サッチャーが英国の当時重要な輸出品目であるウイスキーを守るために、輸入ウイスキーなどの税率の引き下げを強硬に求められる。その結果、焼酎が外圧により増税された形となった。焼酎を製造する蔵元は、、その味にクオリティを求められた。それまでは安い臭いで品がないイメージだったけど。そのときに酒質を上げた。正確に言うとそこで酒質を上げることができた酒蔵がこの令和の時代にも生き残っている。
結果として、値段を上げたから焼酎というジャンルは、高級イメージができてきた。かたや日本酒は淡麗辛口が世の中に浸透していったことによって、低迷な時代となった。2000年霧島酒造が手掛ける黒霧島が大爆発し、イメージを変え、2004年に日本酒と焼酎は福岡県下で逆転された。日本酒は酒質をあげ、淡麗辛口のイメージを変えるべきだったんだなあ。焼酎>日本酒の結果となったのは企業努力の一言。焼酎が時代に向き合った。日本酒も安い方に走ってはだめだ。今日の日本の酒類マーケットは、ビールの次に焼酎が4500億円、清酒を抜いているはず。昨日、鹿児島大学かごしまルネッサンスアカデミーの焼酎マイスター養成コースの試験に出た。でも焼酎がウイスキーを目指すのはどうかなと思う。

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華やいでこその大吟醸

日本酒は、吟醸香る、華やぎの世界を築くべきだ。大吟醸で大往生。このタイトルがやはり私が目指す日本酒の世界。ということで、少し昔のお話を語ってみた。