三井の寿とは?
福岡ナンバーワンのうまい酒との評価も
バスケ漫画スラムダンクでも人気沸騰
友添本店では、三井の寿の日本酒は、若い女性のお客様に人気があるように思えます。
人気漫画スラムダンクの作者がこの蔵の酒が好きで、登場人物のスリーポイントシューター、三井寿(みついひさし)の名前にも取り入れたという逸話もあり、日本だけでなく、中国など海外でも一気に注目を集めている三井の寿。
もちろん品質も折り紙付きで、全国のさまざまな鑑評会で優秀な賞を受賞し続けています。
純米酒に特化した日本酒造り
三井の寿は、福岡県三井郡大刀洗町で大正11年(1922年)に創業しました。
古くから3つの湧き井戸があり、三井郡と呼ばれる地で、「三井の寿」という名の酒蔵は誕生したといいます。
私、友添健二が、三井の寿に関して最も印象に残っているのが、取引を始めたころに飲んだ「麗吟(れいぎん)」という名の日本酒です。
雑味がないし「なんちゅう酒や!」とびっくりしたことを思い出します。
今回初めて三井の寿を訪問し、蔵元杜氏として、製造現場を牽引する専務の井上宰継(ただつぐ)さんに酒造りの話を聞きました。
驚いたのが、三井の寿は福岡でも早々と純米酒に特化した日本酒造りを行っている蔵だということ。
福岡市が世界的ワイン産地であるフランス・ボルドーと姉妹都市の締結をした1982年、父の井上茂康社長が現地の視察団に同行し、5大シャトーを見学したことがきっかけだそうです。
ワイン造りのプライド、こだわりにものすごく感銘を受け、「三井の寿もこうならないといけない」と決意したそうです。
父の想いは息子に引き継がれ・・・
帰国後、大きなタンクに入った酒を捨て、方針転換します。
純米酒などの特定名称酒、いわゆる「高級酒」に特化した蔵になったのです。
1989年(平成元年)には、冷蔵庫を導入し、瓶囲い(一升瓶保存)、低温保存などの独自のおいしさにこだわりました。
「すごく父を尊敬しています。父の決断があったから、今の三井の寿があると思っています」と宰継さん。
父の想いは息子に引き継がれ、今の三井の寿の躍進につながります。
宰継さんは高卒後、アイスクリームのハーゲンダッツ・ジャパンに勤めます。
素材選びから商品開発に一切の妥協がない会社での経験が、今の酒造りの考え方に大きな影響を与えました。
「抹茶アイスの開発を任されましてね。無農薬の抹茶がなかった時代。3年かけて無農薬抹茶をつくることから、スタートするわけですよ。とにかく、アイスクリームづくりに超こだわった会社でしたね」と宰継さん。
「キレ」と「酸」にこだわり
1997年、27歳の時に蔵に戻り、自ら酒造りに携わります。
とにかく新しいものに挑戦します。
九州で途絶えていた山廃仕込の日本酒を、一番に復活させました。
「キレ」と「酸」にこだわり、他と酸の違いを出すためにワイン酵母を使ってみたりもしました。
今は、和食の出汁と合う日本酒をテーマにつくり続けているといいます。
わからないことは素直に、全国の酒蔵仲間に聞きます。
「僕がおいしいなと思う酒をつくっている蔵には、先輩後輩にかかわらず『教えて』って、すぐに言います。逆に僕の方からも、全部包み隠さず教えます」
杜氏になって16年。
全国の鑑評会でもずっと評価され続けているし、福岡県酒類鑑評会では最高賞である福岡県知事賞、福岡県議会議長賞を取れなかった年はないそうです。
直近の2018年は、純米大吟醸の部、大吟醸の部、純米吟醸酒・純米酒の部(精米歩合51~59%)、純米吟醸酒(精米歩合60%以上)で最高賞を受賞。
福岡でナンバーワンとも言える評価を受けた酒蔵になりました。
今、福岡で最も勢いのある蔵が、三井の寿なんです。